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「真夜中」の続きの場所。ポケットから手を出すこと。

作品集「Close Your Ears」に寄せた文章を特設サイトに掲載していただきました。

Close Your Ears

ここにも掲載しておきたいと思います。書いているときは気づかなかったけど、自分のいちばん大切なもの、いちばん弱いものを晒した文章になりました。

 


 

「真夜中」の続きの場所。ポケットから手を出すこと。

 

2016年11月。深夜、机に向かっていた。尾道の 本と音楽 紙片 で催される個展に向けて絵を描いていた。描きながら、ふとなつかしい感覚におそわれた。今わたしがいる場所を知ってる…どこだろう?手を動かしながらあれこれ記憶を巡らせた。そして思い出した。そこは、2010年の個展「真夜中」の場所だった。それに気がついたとき、思わず笑った。嬉しかった。自分にもそういう場所があることをそのときはじめて知った。

「耳をとじて」は、6年ぶりの個展だった。

 

2016年の終わり。「いっしょに本を作りたいです」と、紙片での個展を観た えほんやるすばんばんするかいしゃ の荒木さん、純子さんから長いメールをいただいた。2017年2月、ふたりは、わたしが参加している岡山でのグループ展も観にきてくれて、会場近くの喫茶店で3時間くらい話をした。その帰り道、真冬の高速を運転しながら「この話は本当に進むかもしれない」と信じ始めたのを覚えている。それまでの長いあいだ、誰にどんな“良い話”をされてもほとんど真に受けなかった。一喜一憂したくなかった。それは、ポケットに両手を突っ込んだままつっ立っているような気分だった。

 

無名のわたしに「個展をしませんか」と紙片の寺岡さんが声をかけてくれた。そこに荒木さん純子さんが加わり作品集を作ることになった。そしてデザイナーのサイトヲさんが現れた。その膨大な作業のなかで、わたし以上にわたしの絵を観たひとたちだ。自分が描いた絵がそれほどの労力を費やす対象となることに慣れず、赤くなったり青くなったりした。そうして2018年の冬まで2年をかけて、わたしは、ポケットに突っ込んだままになっていた両手をそろそろと出すようになり、塵やらゴミやらまでいっしょに出して、きっと、本当に久しぶりに自分の両手を見たのだ。もう完全にジタバタしていた。

 

2020年始め。「Close Your Ears」の紙片版「Close to My Ears」。そして新しい作品集「AGEHA」。同じメンバーで、この2冊の本造りが本格的に動き出した。「Close Your Ears」発行から1年以上たち、最近ようやく少し落ち着いた気持ちで、この最初の作品集を手にとれるようになった。この文章は1年間ずっと書き直し続けていた。そのまま、途切れることなくまたゆっくり進み出す。貴重な歳月が続く。

 

ポケットにはまだ何かあるはずだ。わけのわからないものが。それらを指先でつまんでおもしろがってくれる本造りのメンバーに、心から感服し、感謝しています。そして、塵ゴミが払われて美しく仕上がった1冊が、誰かの手に届くことを、心から幸せに思います。

ヒコーキクラブ 続き

昨日ブログで書いたばかりのヒコーキクラブのおじいさん方と、今日、息子が仲良くなるというまさかの展開。めずらしくイジイジモジモジして、話しかけるまで30分くらいかかった息子。でも勇気を出して「飛行機見せてください」とひとりで言いに行った。立派だ。

飛行機を飛ばさせてもらったり、作り方を聞いたりして「もっときれいに飛ぶ飛行機を今度持ってきてあげるよ」と言うおじさんと「自分で飛行機作ってみる!」と息子が約束。「厚紙とボンド、割りばし…」と、真剣に作り方を聞くわたし。

 

息子(天性の不器用、7歳)に代わり、わたし(天性の不器用、でもオトナ)が作ること必至。約束の来週の火曜日までに、作りましょう、美しい飛行機を。

ヒコーキクラブ

9時50分。この時間はときどき、70歳くらいのおじいさんが5、6人集まり飛行機を飛ばしている。薄い発砲スチロール板で作った模型飛行機をゴムかバネで飛ばす。30mくらい飛ぶ。それぞれが黙々とあちこちに飛ばしては、自分で走って拾いに行く。人口が多いところはいいなと思う。マイナーな趣味でも、シニアがこうして毎週同じメンバーで集まって楽しそうにしている。

 

わたしはといえば、今が底の底だろうと思う。足下の地面を何度も蹴って確かめる。これがいちばん底なら、まあ大丈夫だろうと考えている。

エーデルワイズの思い出

「絵には正解はないけれど、文章には正解があるのよ。クラシックの音楽みたいに」と、11月に編集のMさんが言っていた。杉本さんは、絵は今までの蓄積があるからそんなに心配ないけれど、文章はこれから果てしない鍛錬が必要よ、と。

 

昔、フルート奏者から1年くらいオカリナを習っていたことがあった。軽い気持ちではじめたのに、その先生は超スパルタだった。真剣だった。年配の生徒さんがあまりにキツく叱られて泣いたこともあった。「とにかく譜面通りに吹きなさい!」と繰り返し叱咤された。クラシックの演者は譜面を正確に再現するのに精一杯で、個性や表現は2の次であることをそのとき知った。というか、譜面ばかりを追っかけていても個性は音に出るのだと。「杉本さんの音はもの哀しいから、この曲に合うのね」と、エーデルワイズを練習しているとき先生が言った。そして「そうだ!今度のクリスマス・コンサートで杉本さんこの曲独奏しなさいよ!」と迫られて震え上がったことを覚えている。この後事情があってオカリナ教室に行けなくなったので、独奏はせずに済んだ。

 

文章は難しいなと思う。このブログも、過去の投稿をしょっちゅう加筆修正している。それが苦ではなくておもしろいからしている。文章は絵と違うから、クロスワード・パズルみたいに気分転換になる。削除もする。誰かを傷つけたくはない。何かを押しつけたくはない。ひとりよがりになるのはいやだ。でも正直がいい。書いた直後はわからなくても、月日がある程度過ぎてからわかることが多い。

 

歳月がたっても、読める文章、観れる絵、というのがいいと思う。

真夜中

気分転換に書いている。真夜中。近所のコンビニでカフェラテを買ってきた。

夜の作業スピードと集中力は昼の2倍になる。静かで、ひとりで、自由だ。時間は自分だけのものだ。そして「あんまり無理しないでね、これお守り」と息子が置いてくれた謎のレゴの物体と、兼継がいてくれる。兼は、足の裏に墨汁をつけてあちこち歩いたり、トレース板の上で寝たりするから、ちょっと困る。

 

とはいえ、夜型にはなりたくない。今だけ。

頼ったり甘えたり

どうにもならない…ということで、息子を週3回民間の児童託児所にお願いすることに。昨日は、近所の友達ふみちゃんが「うちでそうちゃんを預かってあげるから仕事しなよ」と、昼ごはん、夕ごはん、お風呂、送迎まで引き受けてくれた。ふみちゃんは数日前、わたしの夢にも出てきて「なんかあったら頼ってね」と真面目に言ってくれた。それもあって、素直にお言葉に甘えてお願いできた。託児所もふみちゃんの紹介だ。ありがとうしかない。

昨日は丸1日仕事をさせてもらって、今日は息子は託児所。息抜きに散歩へ。頭がすっきりする。

仕切り直し

3月3日から春休み終了まで小学校お休み決定。息子の各習い事先からも連絡があり3月一杯はお休み。

3月は、引き続き大切な仕事がたくさんある。久しぶりの夜業になる。うーん。でも、夜中のほうが集中力があがるし作業が早くなるし、なんとかなるでしょう。

 

息子に「しばらくそうちゃんひとりで寝れる?ママ夜に仕事するから」と聞くと「うちが貧乏になって全然かまわないから、ボクはママと寝る。ムリ」ときっぱり言われる。

散歩

あれれ、めずらしく陸にあがってる。いいね。待て待て。

師匠な息子

昨夜は東京からきた千枝さんと夜更けまでホテルのバーで飲んだ。飲んだ、といっても、わたしは天神まで車を運転して行ったのでパイナップルジュース、お酒の飲めない千枝さんはグァバジュースなどを飲んでいた。ちょうど千枝さんと話したいなと考えていたタイミングだったので、とても嬉しかった。千枝さんは博識で仕事がばりばりできて、しかも天性のひとの良さと器があるので、話していてとても楽しい。

近所に友達ができて(←めずらしい。太宰府で2人目の友達)、最近彼女から彼女の半生を聞いた。「えっーーーーー!」という内容で、大炎上しそうな人生だけど、聞いててなんだか胸が熱くなった。自分ですべてを背負うのなら、もうなんでもありかもしれない…と思える、良い話だったな。

なんだろう、今年に入ってから、急にひとに会う機会が増えている。遠方からひとがくる。3月もいくつかひとと会う予定がある。家族としか会わない日々だった昨年はなんだったのだろう。心境にも変化がでてきて「触るなよ、全部ひとりでやるから」というスタンスが「なんかもう甘えちゃおうかな」というゆるい感じがでてきて、驚く。理由はいくつか心当たりがあるけれど、ひとつはきっと息子のせいだ。

 

息子は超ひとなつっこい子で、例えば電車に乗ったら、速攻で目の前のひとに朗らかに話しかける。「どこ行くんですか?今何歳ですか?ボクと座る場所交換しませんか?ボクが好きなキャラクターはね…(と、手に持っている本を見せたりする)」などなど。お店の店員さん、レジのひとにも必ず話しかける。こころのシャッターを降ろしたようなひとにもおかまいなしで、ぐいぐいそれをこじ開けにいく息子。無愛想なひとがしまいには息子に降参する様子などを見ると、ちょっと感動する。無表情ですれ違うだけだったひとの、やわらかい部分を、息子のおかげで垣間見れる。

下校時間、晴れた午後、遠くにひとり黄色い傘を差した子が見える。うちの息子だ。息子はにこにこしながら、同級生、上級生、男の子、女の子関係なく「あいあい傘しようよ!楽しいよ!」と開いた傘を手にしてまわりの子どもを追いかけている(”あいあい傘”の意味を息子は知らない)。みんな、困って逃げてる。そういうのを見てると「…なんか、すごいな」と思うのだ。「ひと言でいうと”天真爛漫”ですね」と担任の先生は言う。

天真爛漫で神経質。ひとなつっこいくせになじめない。息子が傷つくことも、強引すぎることもたくさんある。見てるととてもあぶなっかしいけど、でも、まぶしいような気持ちにもさせられる。

 

モンゴメリの「かわいいエミリー」で、死にゆくエミリーのお父さんが娘について思う言葉が、息子を見てると浮かぶ。

”この子は深く愛するだろう、ひどく苦しむだろう、そしてそのかわりにかがやかしい喜びにみちた瞬間を味わうだろう”

やっほーー

今朝8時半。誰もいなかった。

「やっほーーー!」と言いたい気分だった。言わなかったけど。