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“願いは「普通」” 佐藤忠良 安野光雅

図書館で借りた。息子と図書館に行くたびつい何か借りる。おかげでずっと「逆説の日本史」がストップしている。本を読む時間は、お昼ごはんを食べながらと息子の習い事の待ち時間。

 

彫刻家佐藤忠良さんと画家安野光雅さんの対談集。素晴らしい組み合わせ。おふたりの創作に対する謙虚な姿勢、たゆまぬ鍛錬、ご高齢になっても衰えない対象への新鮮なまなざしに、終始頭が下がる思い。

「フミコのやわらかな指 - 料理の生まれる風景」狐野扶実子

図書館で借りてきた、料理家 狐野扶実子さんについての本「フミコのやわらかな指 - 料理の生まれる風景」を読む。上田義彦さんの写真が美しい。

才能と情熱…とうなる。狐野さんは例えば羊肉を食べたら、その羊がどのような場所で育てられどのような牧草を食べ、どのように搬送されて捌かれたか、映画を観るように目の前に浮かぶそう。すごいなあ。こういうことを読むと人間って無限だなと思う。

 

以前は小説ばかり読んでいたのに、出産後ずっとノンフィクションばかり読んでいる。なぜだろう、現実の人間の営みをより興味深く感じるようになった。愛しみを感じるようになった。

 

香港の逃亡犯条例の改正案撤廃。とりあえず良かったのだろうか。ウイグルやチベットとともに本当の解放を願うばかり。

「逆説の日本史3」「お弁当の時間」

地味に「逆説の日本史」を読み進めつつ、ANAの機内誌”翼の王国”の連載をまとめた「おべんとうの時間」を合間に読む。良い本だなあ。日本中のふつうのひとのふつうのお弁当を丁寧な写真と文章で紹介している。みんな、最初の全身写真では緊張して硬い表情をしているけれど、ページをめくると自分のお弁当を食べている写真になり、それがみんな別人のようにやわらかく嬉しそうな顔をしている。お弁当、家族、仕事にまつわる文章もとても良くて、読んでいると泣きそうになる。よく食べてよく働いていれば、いろいろあってもちゃんと前を向けるのかなと思う。というか、お弁当を自分のために作ったり、誰かのために作ったり、誰かに作ってもらえることは、それだけで明るいことなのだなあ。

この本はシリーズ4まであるから、とうぶん楽しい。

博多華丸さん著「食べずに終われんばい!」

良い本見つけたばい。

飛鳥、奈良時代

九州は”明治維新”というイメージが強かったけれど、ご近所の水城、大野城、筑紫、鳥栖…などなど、古代から続いている地名と知った。水城が要塞だったとは知らなかった。無知というのは恥ずかしい。プリントアウトした天皇家系譜を眺めながら読書をしてると晩年感漂いすぎるので、図書館で借りてきた伊藤まさこさんの「おいしいってなんだろ?」もときどき読みながら、世俗の爽やかさも味わってます。太宰府は今日も雨。

 

そうそう、あいまに 桐島洋子さん著「聡明な女は料理がうまい」も手にとりました。そのタイトルが恐ろしくてずっと躊躇してたけれど、読んでみて、やっぱりびびりあがりました。おそるおそるドアを開けて首だけのぞいてすぐ「あ…すいませんでした」とぺこぺこしながらおしりから出る感じ。レシピはどれも美味しそう。

「逆説の日本史(2)」井沢元彦著

「逆説の日本史」は聖徳太子まで進んでいます。

自転車は、平尾のスプートニクさんに修理に出しています。

最近、ブログがちょっとリタイア後のオジサマのようだな。

「逆説の日本史(1)」井沢元彦著

10年ぶりくらいに再読。内容をほとんど忘れていて「へぇぇぇ〜」「ほぉぉ〜」と新鮮に読んでいる。文章はちょっとくどいけれど、わたしのようなしろうとにはおもしろく読める。

山陰は神話の名残が濃い土地だった。オオクニヌシノミコトやアマテラスは身近なものだった。だからこの1巻に特筆してある出雲大社に関する所見や”卑弥呼がアマテラスだったのではないか”という仮説は特に楽しい。

 

福岡に移り住んで、長崎や鹿児島にも行って、九州はやっぱり”明治維新”というムードがあるように思う。今まで興味がゼロだったのに、もっと知りたくなってきた。このまま読み進んで20巻あたりで幕末になるので、今年中にたどり着けたら良いなと思う。

「しつけ帖」幸田文著

感じ入ってしまった。

 

幸田露伴と文。強力な師弟のような親子。

絶対的な父。しかしそれにふさわしい格を持つ父。

反抗しつつそこにくらいついて、畏敬と信頼、理解を深める娘。

何か絶対的な存在に従いかしずいた生き方…というのに多少の憧れもあるから、いいな…と思ったり、こわいわあと思ったり。

 

実際的な教訓のひとつに”台所に立つあいだ可能な限り乾いた手でいる”ということ。

「わたしの献立日記」沢村貞子著

この長い連休の最後に「わたしの献立日記」を読む。

沢村貞子さんの著作はいつももう、頭が下がりますのひと言につきる。

「台所帖」幸田文著

息子が「美味しい」という味が広がってきた。

今まで工作のように料理をしてきたけれど、もうちょっと理論を知って上手になりたいなと思い、あれこれ「〜すると良い、なぜならば…」が書いてある料理の本をいくつか読みふけっている。「台所帖」はその箸休めのような読書。

 

幸田文さんの文章を読んでいると、周囲のひとや時代から理不尽な扱いを受けることは、必ずしも悪ばかりではないかもと思う。ひとは上から蓋をされていると光を求めて足下を掘るのではないか、だから、奥行きのある人間になるのかもしれないなと思ったりする。

 

わたしは料理が好きだけれど、すさまじく不器用で手際が良くないし包丁も遅い。どれくらい不器用かというと、家庭科の成績表で2をとったこともあるし、美術の工作では2のバツをくらったことも、あるくらい。ひとから直に何か教えてもらってそれを指先で再現する…ということがうまくできない。昔はそれでかなり苦労したけれど、マイペースにさせてもらえる今は特に不便はない。

 

夫はそんなわたしがおののくくらい不器用で、息子はそんな我々の血統で、素晴らしいぶきっちょさんだ。