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情熱

昨日、大きな買い物をふたつした。

ひとつはKENWOODのミニコンポ、もうひとつはSINGERのミシン。両方とも中古。amazonとメルカリで。チープな新品を購入するより、そこそこきちんとした作りで状態の良い中古を探す。今回はふたつ合わせて2万円くらいでした。両方週末に届く予定。電化製品って緊張するなあ。楽しみだなあ。

 

インターネットで良い中古を探すにはコツがある。長くなるし、ばかみたいな話なので、書かないけれど。

冬支度

まだ風邪をひきづっていて今週は散歩にも行けていない。今日の午後鳥取からわたしの両親が遊びにくるので、今おでんを仕込んでいる。あとははまちの漬けがあるから漬け丼。それから息子を両親に任せて、夕方から市内に出かけて打ち合わせの予定。そのままちょっと飲んで帰るつもり。

 

出かけるついでの季節の衣替えはかんたんで、ニットやマフラーを1番上の引き出しに移すだけ。着るもののなかでセーターがいちばん好きで冬はこれだけ。以上。

(今もないけど)もっともっとお金がなかったとき、着るものを買う余裕もなくて、買いものに失敗できなくて、自分が長く使うもの、結局使わなくなってしまうものの、色、形、サイズ、素材の傾向をリストアップして、それに従って購入するようにした。そして冬は明るいグレイの、丈夫で毛玉ができにくいスコットランド製のウールのセーターのみとなった。春になりさすがに飽きたなと思う頃クロとネイビーのカットソーばかり着るようになり、夏になったらシロとクロのシャツばかり着るようになる。数もすごく少ない。「いつ見てもいっしょ」と夫と息子には不評だけど、外に出てひとに会うこともほとんどないし、わたしとしては何も迷わず毎日好きなものを着れていい。

 

ものはとても好きだ。新しかろうが古かろうが、高価だろうが安価だろうが、素材が良かろうがプラスティックだろうが、今の持ち主が日々触っているものが好きだ。インテリアを紹介する雑誌などを見ていて、どんなに良いものが紹介されていても、それを持ち主が頻繁に手にとっているかどうか、写真を見るとわかるような気がする。使われてるものには、何かの気配がある。使われてないものは、にぶって見える。

服屋で働いたことがある知人が言っていた。「お客さんが乱してなくても、陳列してある洋服を毎日たたみ直す。僕たちはそれを”服に空気を入れる”と言っていた。一見違いはなくても、そうしたほうが売上げが伸びる」

ものは毎日触っていると持ち主の味方になってくれるし、助けてもくれる…そう実感することがたびたびある。あるんだよな。

西洋陶磁

古い染付をネットオークションで検索する…というのも楽しみのひとつだけど、古いウェッジウッドやロイヤルコペンハーゲンを検索して眺める…というのも好きだ。ジノリも大好きだし、ボッシュ、ビレロイ&ボッホなんかも見る。アラビアもすこし。ネットオークションは玉石混交なのがいい。誰にも気兼ねなくひたすら眺めているだけで良いからいい。今までの人生「見るだけ」に相当な時間を費やしてると思う。

染付はまれに購入するときがあるけれど、西洋陶磁は本当にただただ見てるだけ。でもすごく楽しい。「きれいだな。うわぁ〜、本当にきれいだなあ」と思いながら見てる。知識も全然ない。

 

ものにはふさわしい場所があるように思う。日本の、黒々とした一枚板のカウンターのある喫茶店で、店主の後ろにずらりとさまざまなカップ&ソーサーが並べてある店があるけれど、ああいうふうに見るとそんなにきれいと思わない。金縁の、棚板がぐるりと鏡になったようなキャビネットにコレクションが並べてあるのも好きじゃない。なんだかもっとふつうにして欲しい。どんなひとがどんな場所で手にしたらなじむのだろうといろいろ想像したりする。

 

こころからきれいだと思うものが、自分の生活の風景、食生活、経済や育ちに似合わないのは残念だ。かといって、後付けで背伸びしたってなんだか奇妙だなと思う。福分。福分。

あこがれ

しばらく前「これは」という色絵の小皿を見つけた。5枚揃いの4寸皿。めずらしく器の買いものが続いた。

なんか、もう、スペーシーというか…。

わたしでも購入できるような昔の雑器は、仕事の内でするりと自由で、手数を積み上げた技術があって腕に味があって、本当に好きだ。鋭さはないけれど、眉間を開いて描いているような。

職人仲間と時々世間話をしながら手を動かし、仕事のあとに風呂にいったり一杯やりに行ったり、そんな夕方が目に浮かぶよう…これらは全部わたしの勝手な想像だから、当時の陶工がどういうひとなのか。男なのか女も良いのか、形成と絵付けは別なのか、どういう修行をするのか、絵柄の決定は誰がするのか…などなど、一度ちゃんと調べてみたい…そうだ、日本史と世界史をおさらいしたいんだよな、ものを知らなさすぎるから…と逸れて考えたりする。

この小皿は我が家で毎日のように使ってます。使ってて楽しい。

 

追記 : 後でちょっとだけ調べてみた。「美の壷」のホームページで。以下抜粋。

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民芸運動の父柳宗悦は、彼等の力をこう讃えました。

「淀みなき線、仕事の早さや又その確かさや、それは一技(ひとわざ)に腕を磨くお蔭である。今時これらの染付を描ける人がいたら一世の天才と仰がれているだろう。無名のそれ等の工人たちに私は尽きない敬愛を送る。彼等こそは世を美しくしてくれた人々ではないか」

ゴブランとサーモンピンク

数年ぶりに「ありかもしれない」というゴブラン織りを見つける。千円也。

ゴブラン織りが好きだけれど、これはありなのかなしなのか…というぎりぎりの柄が多く、おもしろい。滅多に買うには至らない。

サーモンピンクが好きで視界にあると落ち着くし、なんだか身体が回復するような気持ちにさえなるのに、その色を家に置くことも身につけることも今までほとんどなかった。「ピンクむり」と敬遠してきたけれど、最近そろりそろりと出没してきた。ピンクに「そろそろこっちにおいで」と呼ばれてるような気持ちだけど、まだまだふんばって抵抗している。

買いものばなし

買いものは好きだ。

買いもので何が嬉しいのだろう…と改めて考えてみると、良いものをそれ相応の価格で購入するより、好みのものを二束三文で見つけることだと思った。財布事情もあるけれど、節約とはちょっと違う種類の。ちりあくたのなかから「これは!」と見つける喜び。

 

食料品以外の買いものはインターネットを利用することが多い。何か欲しいものがあれば、とにかくしつこく考える。1時間でも1日でも、じっ……と見つめ続けて熟考する。ネットショッピング歴が長いので、いろんな適正寸法は把握している(セーターの身幅とか自分が使いやすいキッチンツールの長さとか)。慎重なので、しくじることはあまりない。むしろ実店舗のほうがお店のひとと話したりのぼせたりして失敗が多い。あんまり無言で眺めてると気持ち悪いかなと遠慮もする。学生時代に古着屋でよく買いものをしていたのは、古着が好きというより、あの「なんでも適当に見てくださいよ」という雰囲気が良かったのだろうと今になって思う。そして、本屋さんはいつでもどこでも居心地が良い。

 

たとえば車たとえば家。”買いもの”の許容範囲を大きく超えるもの。高価過ぎるものは重荷になる。実際に重量のあるものもあまり好きではない。軽くてひとりでも動かせるのがいい。今は車は必要だけど、家を建てたり買ったりすることはこの先ないだろうと思う。これからもごく一般的な賃貸を探して、あちらこちらで暮らしていくのだろうと思う。

 

最近見つけた古い赤絵の小皿。好みの柄と価格。こんなにゆるい赤絵の柄はなかなかない。

 

昔、廃墟のようなリサイクルショップで発掘した糸巻き型の角皿。120円だった。うちにある器のなかで1番好きなもの。