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萌えること2

右はお味噌汁を作るときに使う琺瑯の容器。火にかけて使いたいので、もとはシール蓋だったのを、経13cmのステンレスの蓋をオンラインで購入して取り替えた。今は「…こういうのがあったら便利だな」というようなものは、検索してみるとほぼ既に販売されている。そんな世の中なので、鍋の蓋のみの販売も、素材別、サイズ別で山ほどある。

左はかれこれ15年以上使っている片手小鍋。あら、このひとにもさっきの13cmの蓋がぴったり。

27cmの鉄のフライパンには、煮沸消毒用の寸胴鍋の蓋(26cm)が使える。ちょっと内側に入って残念だけど。

 

ある道具の一部が他の道具にも兼用できるとき、なんだろう…この気持ち。”萌える”ってこのような気持ちだろうか。

萌えること

すこし前に、ケーキの型を探しに厨房用品店に行ったときに「あ、これいい」と購入しました。800円くらいだった。

飲食店でホールスタッフがグラスに水を注ぐためのポット、最小サイズ。いりこを冷蔵庫で水出しするときにちょうどいい。冷蔵庫に収まるサイズで軽いし、ふたが付いていて、いりこが流れ出ないようにしながら注げるし、胴体のくびれ部分がちょうど700ml、その4cm下くらいが500mlとわかりやすい。重宝。

今まで使っていた水出し用の容器(こちらはふたがないのでラップ必須)は、冷蔵庫の野菜室で小松菜やネギやきゅうりを立てて保存するときに使用することに。こちらも業務用。

 

ふだん衝動買いってしないけど厨房用品店に行くときは例外。安いし。オンラインでもたまにアスクルとか延々と見てしまう。業務用用品って見てるだけでわくわくする。なんだろう…あの気持ち。”萌える”ってあのような気持ちだろうか。

Mint chu chu Leather のバッグ

鳥取県米子市にある Mint chu chu Leather の川口淳平さんが作るバッグ(息子のものだけど、ないしょでわたしも使っている)。

昔就いていた仕事の関係で、川口さんの作るものは長く見ているけれど、実際にバッグを使うのははじめて。服飾のことはよくわからないけれど、きっと稀な仕事だと思う。縫い目ひとつまで執拗に作り込んでるのに、淀みがないというか。こういうものを誠実な仕事というのだろうな。”良いもの”ってやっぱり良いのだなと改めていろいろ考えさせられました。

 

手仕事のもの、表現のものなど。観ていると、なんとなく「四角い手、三角の手、丸い手」と分類してしまう。「三角と丸のミックス」とかもある。それは、才能とはまた別の、仕事をするときの手に出るそのひとの性質やクセのようなもの…それだけは生涯変えられないものを、わたしの勝手な偏見と思い込みで観るのだけど、川口さんは「丸い手」だと思う。

 

Mint chu chu Leather

情熱

昨日、大きな買い物をふたつした。

ひとつはKENWOODのミニコンポ、もうひとつはSINGERのミシン。両方とも中古。amazonとメルカリで。チープな新品を購入するより、そこそこきちんとした作りで状態の良い中古を探す。今回はふたつ合わせて2万円くらいでした。両方週末に届く予定。電化製品って緊張するなあ。楽しみだなあ。

 

インターネットで良い中古を探すにはコツがある。長くなるし、ばかみたいな話なので、書かないけれど。

冬支度

まだ風邪をひきづっていて今週は散歩にも行けていない。今日の午後鳥取からわたしの両親が遊びにくるので、今おでんを仕込んでいる。あとははまちの漬けがあるから漬け丼。それから息子を両親に任せて、夕方から市内に出かけて打ち合わせの予定。そのままちょっと飲んで帰るつもり。

 

出かけるついでの季節の衣替えはかんたんで、ニットやマフラーを1番上の引き出しに移すだけ。着るもののなかでセーターがいちばん好きで冬はこれだけ。以上。

(今もないけど)もっともっとお金がなかったとき、着るものを買う余裕もなくて、買いものに失敗できなくて、自分が長く使うもの、結局使わなくなってしまうものの、色、形、サイズ、素材の傾向をリストアップして、それに従って購入するようにした。そして冬は明るいグレイの、丈夫で毛玉ができにくいスコットランド製のウールのセーターのみとなった。春になりさすがに飽きたなと思う頃クロとネイビーのカットソーばかり着るようになり、夏になったらシロとクロのシャツばかり着るようになる。数もすごく少ない。「いつ見てもいっしょ」と身内には不評だけど、外に出てひとに会うこともほとんどないし、わたしとしては何も迷わず毎日好きなものを着れていい。

 

ものはとても好きだ。新しかろうが古かろうが、高価だろうが安価だろうが、素材が良かろうがプラスティックだろうが、今の持ち主が日々触っているものが好きだ。だから数が多すぎることは苦手だ。インテリアを紹介する雑誌などを見ていて、どんなに良いものが紹介されていても、それを持ち主が頻繁に手にとっているかどうか、写真を見てるとわかるような気がする。使われてるものには、何かの気配がある。使われてないものは、にぶって見える。

服屋で働いていた知人が言っていた。「お客さんが乱してなくても、陳列してある洋服を毎日たたみ直す。僕たちはそれを”服に空気を入れる”と言っていた。一見違いはなくても、そうしたほうが売上げが伸びる」

ものは毎日触っていると持ち主の味方になってくれるし、助けてもくれる…そう実感することがたびたびある。あるんだよな。

西洋陶磁

古い染付をネットオークションで検索する…というのも楽しみのひとつだけど、古いウェッジウッドやロイヤルコペンハーゲンを検索して眺める…というのも好きだ。ジノリも大好きだし、ボッシュ、ビレロイ&ボッホなんかも見る。アラビアもすこし。ネットオークションは玉石混交なのがいい。誰にも気兼ねなくひたすら眺めているだけで良いからいい。今までの人生「見るだけ」に相当な時間を費やしてると思う。

染付はまれに購入するときがあるけれど、西洋陶磁は本当にただただ見てるだけ。でもすごく楽しい。「きれいだな。うわぁ〜、本当にきれいだなあ」と思いながら見てる。知識も全然ない。

 

ものにはふさわしい場所があるように思う。国内の、黒々とした一枚板のカウンターのある喫茶店で、店主の後ろにずらりとさまざまなカップ&ソーサーが並べてある店がよくあるけれど、ああいうふうに見るとそんなにきれいと思わない。金縁の、棚板がぐるりと鏡になったようなキャビネットにコレクションが並べてあるのも好きじゃない。なんだかもっとふつうにして欲しい。どんなひとがどんな場所で手にしたらなじむのだろうといろいろ想像したりする。

 

こころからきれいだと思うものが、自分の生活の風景、食生活、経済や育ちに似合わないのは残念だ。かといって、後付けで背伸びしたってなんだか奇妙だなと思う。福分。福分。

復活

タイヤ交換とメンテナンスに出していた自転車が帰ってきた。このTokyobike26、わりとカスタムしてるけれど、主張ゼロの地味な仕上がりでとてもカスタム車に見えない。白いタイヤとかレザーのサドルとかヨーロッパふうとか、見るのは楽しいけど自分では選ばない。

 

梅雨明けが楽しみ。

ケノヒビ

ごしごしごしごし…。

スポークのサビを落とすのに2日間かかった。タイヤとタイヤチューブを外すところまではできたけれど、新しいものを装着するのは断念。調べたら相当バカ力がいるらしい。週末に自転車屋さんに持っていこう。

 

自転車のメンテナンスをしながらニュースを聴く。ここ最近の時事ニュースは特に濃いい。現実の世界はフィクションよりもっとずっと濃厚。

7年ののち

この7年間全然乗れなかった自転車。ずっと部屋の隅に置かれて、福岡に引っ越してからは室内に置く場所がなくてマンションの廊下に出しっぱなしだった。

これから、車体のサビをおとして、タイヤとタイヤチューブ、サドルを交換して、週末に自転車屋さんで車体点検してもらえるようにする。

 

タイヤとタイヤチューブ交換が不安。

あこがれ

しばらく前「これ」という色絵の小皿を見つけた。5枚揃いの4寸皿。めずらしく器の買いものが続いた。

なんか、もう、スペーシーというか…。

わたしでも購入できるような昔の雑器は、仕事の内側でするりと自由で、手数を積み上げた技術があって腕に味があって、本当に好きだ。鋭さはないけれど、眉間を開いて描いているような。

職人仲間と時々世間話をしながら手を動かし、仕事のあとに風呂にいったり一杯やりに行ったり、そんな夕方が目に浮かぶよう…これらは全部わたしの勝手な想像だから、当時の陶工がどういうひとなのか。男なのか女も良いのか、成形と絵付けは別なのか、どういう修行をするのか、絵柄の決定は誰がするのか…などなど、一度ちゃんと調べてみたい…そうだ、日本史と世界史をおさらいしたいんだよな、ものを知らなさすぎるから…と逸れて考えたりする。

この小皿は我が家で毎日のように使ってます。使ってて楽しい。

 

追記 : 後でちょっとだけ調べてみた。「美の壷」のホームページで。以下抜粋。

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民芸運動の父柳宗悦は、彼等の力をこう讃えました。

「淀みなき線、仕事の早さや又その確かさや、それは一技(ひとわざ)に腕を磨くお蔭である。今時これらの染付を描ける人がいたら一世の天才と仰がれているだろう。無名のそれ等の工人たちに私は尽きない敬愛を送る。彼等こそは世を美しくしてくれた人々ではないか」