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沈黙が無難

個人的には、コロナより今の世間のほうがこわい。「なんかもういいや。しばらくさよなら」と違う意味で引きこもりたくなり、現状だと5月いっぱいは緊急事態宣言の解除はなさそうだし、この生活にもっと積極的に適応することに。ずっと在宅することになった息子の勉強と生活リズムについてあれこれ考えて、今まで特に必要だと思わなかった Fire TV Stickを入手してamazonプライムに加入、テレビでオンライン動画を見れるようにした。

 

You-Tubeを生活によく利用していて(観る…ことはほとんどなくて聴いてるだけ)音楽やニュースを聴くし、情報を調べるときもYou-Tubeで検索することが多い。個人がプライバシーと収入を賭けて投稿するYou-Tubeは、切磋された質の良いチャンネルが見つかれば、他のメディアより信頼できるし有能だと思う。何年か前に英語の勉強をしていたとき、優れたユーチューバーのレッスンのほうが、学校の授業や英会話教室より数倍わかりやすくて、おもしろくて、役に立ち過ぎて感動したことがある。小学生の勉強に適した良い動画もあるかなといろいろ試している。ただ、まだ2年生だし、勉強…というより脇道に逸れるような雑学的な内容を探している。わたしもいっしょに観るからおもしろいほうがいいし、視聴後に息子に感想文を書いてもらって、それを読んでこっそり笑いたい…という願望もある。こどもに勉強を教えるのは工夫と忍耐がいるから、できればこちらも楽しめる要素が欲しくて。

今日の作文。ただただわたしが読んでなごむ。

エーデルワイズの思い出

「絵には正解はないけれど、文章には正解があるのよ。クラシックの音楽みたいに」と、11月に編集のMさんが言っていた。杉本さんは、絵は今までの蓄積があるからそんなに心配ないけれど、文章はこれから果てしない鍛錬が必要よ、と。

 

昔、フルート奏者から1年くらいオカリナを習っていたことがあった。軽い気持ちではじめたのに、その先生は超スパルタだった。真剣だった。年配の生徒さんがあまりにキツく叱られて泣いたこともあった。「とにかく譜面通りに吹きなさい!」と繰り返し叱咤された。クラシックの演者は譜面を正確に再現するのに精一杯で、個性や表現は2の次であることをそのとき知った。というか、譜面ばかりを追っかけていても個性は音に出るのだと。「杉本さんの音はもの哀しいから、この曲に合うのね」と、エーデルワイズを練習しているとき先生が言った。そして「そうだ!今度のクリスマス・コンサートで杉本さんこの曲独奏しなさいよ!」と迫られて震え上がったことを覚えている。この後事情があってオカリナ教室に行けなくなったので、独奏はせずに済んだ。

 

文章は難しいなと思う。このブログも、過去の投稿をしょっちゅう加筆修正している。それが苦ではなくておもしろいからしている。文章は絵と違うから、クロスワード・パズルみたいに気分転換になる。削除もよくする。誰かを傷つけたくはない。何かを押しつけたくはない。ひとりよがりになるのはいやだ。でも正直がいい。書いた直後はわからなくても、月日がある程度過ぎてからわかることが多い。

 

歳月がたっても、読める文章、観れる絵、というのがいいと思う。

すきとおったきれいなもの

昨日、友人が食後のコーヒーを飲みながら「最近、お母さんお父さんと3人で、食卓に座ってふつうに話してる夢をよく見るんだよ」と言った。その子は数年前にお母さんを亡くしていた。「喋ってて、これなんかへんだなって夢だって気づいて、いつもそこで眼が覚めて。悲しくて」と彼女はぽろぽろ涙をこぼした。「母が亡くなったとき、こどもも小さくて、忙しくて、そういうことを話せる相手もいなくて、まだちゃんと母の死に向き合えていないような気がする」「どうしてこんな夢を見るのかな」と彼女は言った。

 

趣味のひとつ。

You-Tubeの音楽投稿のコメント欄を閲覧すること。感動した音楽の前では、ほとんどのひとが謙虚で素直になるようで、ネガティブなコメントは少なく、楽しくおもしろく気の利いたコメントが多い。中島みゆきさんやフォークの大御所などのコメント欄を見てみると、長文が多くて、苦しかったときどれほどこの曲に救われたか…などが書かれてたりする。どういうひとが書いたのかなあと想像する。町ですれ違ったり電車で乗り合わせるようなひとびと。わたしの友達のような、毎日笑顔でがんばってるひとびと。

 

昼間からビールが飲みたくなるね。

青森のおもてなし。情熱の続き

スーパーでジャケ買いしました。

好みのデザイン。りんごジュースなのに赤パッケージではないのが新鮮。雪国のイメージで白なのかな。味も美味しかった。

 

土曜の午後、注文していたコンポとミシンが同時に届き、電化製品ハイになりました。

コンポは先方のミスでKENWOODの型番違いが届き、ブルートゥースが飛ばせないことに気づく。2010年製でDockコネクタはあるから、Lightning変換用のアダプタがあれば聴けるかも。ということでさっそくアダプタを注文。返品可能だけど、状態もきれいで好みの音だから、i-phoneを繋げたらOKにしようと思う。でも、今まで20年以上使用していたVictorのステレオを撤去しながら「やっぱりこちらが好きだな」としみじみ思った。古すぎて修理にも出せないから仕方ないのだけど。

ミシンは、重さがあって操作が単純でフットコントローラーもあって、見た目もシンプル。試しにぞうきんを縫ってみたら問題なし。良い買い物でした。

 

追記:無事にコンポとi-phoneを繋げました。

潜ったり緩んだり

息子学校はじまり。冬休みだけの学童も終わり、お弁当も終わり。

 

散歩はやっぱり朝だと調子が良い。今朝は風が強かった。雨も降っていた。帰宅して掃除機をかけてまだ10時なのが嬉しい。こうしてブログも書いてみたりする。

 

今月は”外のひと”と会う約束が4回もある。お正月もあったしにぎやかでめずらしい月。ふだん家族以外のひとと会うのは月に1、2回くらいのものだけど、今年はなんだかそれが増えるような気がするし、あちこち出かけてみたい気もする。名古屋には予定があって行くけれど、六甲、尾道、盛岡にも行きたいな。空気のきれいな街に。ライヴにも行きたい。

あとは、2ヶ月に1回きちんと歯医者に行くこと。

しいたけさん

息子とツタヤに立ち読みに行って、これといって興味のあるものがなく、ふと目についた「しいたけ占い」の本を手にとる。

(しいたけ占い…最近よく聞くやつ…しいたけの形状で占うわけじゃなくて、しいたけさんという占い師なのか…)と思いながら、自分の星座をぱらりと見てみると ”…過去の体験、幸せを感じることなどを、分析、カタログ化する傾向がある。例えば「この色好き!」となると、同じ色の服ばかり買い、周囲に「また同じようなものばかり!」などと怒られる” と書いてあり、思わず声に出して「ははははは」と笑ってしまう(11月28日のブログ参照)。

すごい。そのまんまだ。他もかなりそのまんまで、何度も「………ははは」と笑ってしまった。

六本松ツタヤの上にある科学館にはしょっちゅう行く。あそこは楽しい。

今年中にしてしまいたいこと

コートのボタンを付け替える

デニムの裾上げをする

・新しい鍋つかみを作る

(ミシンが欲しい)

金継ぎの作業を進める

靴を磨く

・写真の現像、アルバムを作る

今年分の経理をまとめる

兼継をワクチン接種に連れて行く

整体に行く

美容院に行く

注:仕事、大掃除以外

 

こんなに。

まだクリスマスツリーも出してないし年賀状も準備していない。上から4件はお正月休みにしようかな。

言葉のはなし

週末からまた風邪をひいている。

 

誰かが言ってた「楽観的現実主義者」って良いなと思った。わたしもそのあたりにいたいと思う。

あと、今までよくわかってなかった"narrative"。"narrative" と"story"の違いを知った。"narrative" って好きだな。わたしが長く望んでいることも、"story"より"narrative"のニュアンスに近いのかなと思う。

大きな建物の効用

雨が続いてる。

昨日は小学校が臨時休校になり、そうはいっても太宰府はそこまで雨は降っておらず、暇つぶしに息子とイオンへ。

車で20分ほどで行けるイオンは、売り場がごちゃごちゃしてなくて、すさんだところもなくて、通路も広くて、ソファーがたくさんあって、トイレもきれいで、好きなイオン。書店の中に KEY COFFEE があって本を持ち込める。そのカフェも、ブックカフェによくある硬いイスや狭いテーブルじゃなくて、ソファーでゆったりくつろげる。壮介とわたしはそこが好きで、よくケーキを食べながら本を読む。昨日は2時間以上いたかも。 

 

昔から、住むには最低限の小さな場所が好きだけど、気分がすっきり変わるのは大きな建物。美術館、ホール、ショッピングモール、百貨店、大型書店、駅、空港など。天井が高くて、視界が遠くまで広くて、ほどよくひとが多い場所。週末ではなくて平日。他人が何を言ってるか聴きとれないけど、ざわざわしてる場所。自分がそこに紛れ込んで、存在が消えるような場所が好きだ。個性的な小さな場所も好きだけど、リセットされるような感じはない。山や海も、完全にリラックスできるかというとそうでもない。なじむまで時間がかかるし、それなりの自然は、それなりの緊張感と畏れが必要だから。

 

なんでだろう、そういう大きな建物のなかにいると、脳みそが一度ほどけて組み直されるような気持ちになる。

 

追記 : 地方で40年以上暮らしていたので、”自然”の認識は、見渡す限り民家も人気もないような奥地のことです。

熊谷和徳さんのタップ・ダンス

熊谷和徳さんのタップダンスをUNION SODAに観に行きました。

 

すばらしかった。3年前くらいに観たときよりもさらに深みが増したように感じた。スタンディングでお酒片手にかけ声でもあげながら、ゆらゆらと気楽に観れたらなとも思ったりしたけれど、熊谷さんのタップは哀しみや切なさもすごくあるので、全員着席で固唾をのんで見守る雰囲気も、それはそれで良かった。壮介は、最初はにこにこして大喜びで観ていたけど、途中からリズムに誘われて半分寝ていた。ひとつのパフォーマンスが終わるたびにがんばって身体を起こして拍手をしていた。

 

息子はとにかくどこでも誰にでもお喋りで、思ったことはすぐ口に出さずにいられないので、ライブや美術館などにもなかなか連れていけないけれど、今日は、演者のパフォーマンスが終盤に近づくキンとした静けさのとき、ついついこどもが無邪気に放っちゃう「もうおわる?」とか「これでおわり?」という禁句を(大声では)言わなかったので、とても良かった。進歩。

 

よく、小さな頃から美術館などに連れて行きましょう感受性を育てましょう…というけれど、あれはちょっと疑問。