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息子のこと

息子、香椎にある大きな病院に定期検査の日。

大阪のこども病院で見ていただいた医師もここの医師も、バキバキに瞳孔が開いてる感じだ。スピード感がありつやつやしている。地元でずっと見ていただいた先生方は、明確な判断を避けて検査ばかりしていた。その検査も非常に苦痛のあるもので、対応を不審に思うようになった。セカンドオピニオンの大阪で過去の治療データを見た医師が「そもそも検査が正しく行われていないし解釈もおかしい。再手術が必要って言われた?(どん引きの様子)。見ている症例数の桁が違うからかな…。この術後経過なら問題ない。ここまでマメにチェックする必要もない」と言われて心底びっくりした。

わたしたちが長い間抱えていた不安と、息子の苦痛が一瞬でどこかに飛んでいった。

 

その後、福岡に転居して病院も替わり、息子に病気があることすら忘れてる生活をしている。定期検査も2年に1回となった。

今日見ていただいた医師は、PCでデータをかちかちチェックしながら、前の病院から受け継いだ1歳5ヶ月のときのオペ画像をばんばん出してきた。わたしは初めて見たので「ひぇ〜!」となったし、息子も「…え、これボクなの?」と固まっていた。先生は「そんな、いつかは本人だって詳しく知るんだしさ。見せたらいいじゃん」とけろりとしていた。

 

わたしたちの憩いの場、近所のイオンのブックカフェに戻る。通勤ラッシュの都市高を運転してくたびれた。

息子はいつも「アイスココアのあったかいのをひとつおねがい」と注文する。

 

幼少期に入院の多かった息子だけど、今はそれがいちばん良い思い出になっている。大部屋で24時間付き添いだったから、点滴や管がついて動かせない息子と、鉄格子のベッドでほとんど1日中手を繋いで寝ていた。代わりのひとがいないとトイレにも行けなかった。夜になると、息子が泣いてしまえば付き添い人を合わせた他の10人を起こしてしまう。だから全力で息子に集中した。「わたしは入院生活を楽しもうと思います」と義理の母に宣言して絶句された。あんなにぴったり密着して過ごした時間はない。貴重な日々。

 

身内やオトナばかりとぬくぬく過ごした息子は、3歳半から保育園に行くようになり世間のキビシさを知る。全然なじめなかったし、いじめられた。ストレスでチックが激しく出るようになった。身体が踊るように勝手に動くのだ。そんなとき、前述の激痛を伴う検査が行われた。これでますますチックがひどくなるかもしれない…と心配したが、驚いたことに、検査入院が終わり病院から帰る車中で、なんの前触れもなく息子はわたしに告げた。「もう保育園いやだなんて言わない」。そしてぱたりとチックが治まった。4歳になってすぐだった。こんな小さな子が苦痛を体験することで強くなるんだ、と知った。

 

いろんなことを、良いとか悪いとか簡単には言えない。どんなにキツいことも、あとから「あれがあってやっぱり良かったかも」と感じることが多い。これからもいろいろあるだろうけど、たぶんなんとかなるだろう。致命的な悲劇以外は大丈夫。そう思う。

ふざけ頼み

しばらく前に編み出した新たな技が気にいっているので、こちらに書いておこう。

 

こどもが小学生になり、ささいなことで怒りすぎたり、理不尽なことで叱ったりと、そういうことが(さらに)増えてきた。

このままじゃ良くないな、どうしたものかな。あれこれ考えて、腹を立ててるときの自分に名前をつけたらどうだろうと思いついた。できるだけ、ばかばかしくて格好悪くて、わたし自身口にしたら自嘲するような名前が良いような気がする…”イラクソババア”と命名した。

息子に対してイラっとしてきたら「…ママはイラクソババアになってきたぞ…」と低い声でいう。それまでピリっとしてた空気が、へらへらっとなりゆるむ。ゆるんで仕切り直しができる。イラクソババアと言ってマジメな顔はできないし、怒りはしんなりして腰くだけになる。

ちょっとずるいけど逃げ道にもなる。イラクソババアはママだけどママじゃない。イラクソババアは、ママがくたびれている夕方やダメモードのときによく出てくるんだよ。ママのおなかのなかから出てくる…そこにはイラクソババアの国があるんだよ。調子にのって、お話をどんどん足していく。イラクソババアはどこかよそからやってくる…のではなくて、それはママのどうしようもない一部だと、ちゃんと認めたほうが良さそうに思う。

イラクソババアがしっくりこないときは、マトモな理由で怒っている。「ママ今イラクソババアなの?」と息子に聞かれたら「いやちがう、今はママが怒ってます」という。息子は”これは本当にヤバイらしい”と思う。

 

最近は、息子は「ママ今イラクソ大魔王だねえ」などというようになってきた。

 

追記:「ママ、自分のことをそんなへんな名前でよぶのはやめなさい」と言われるようになった。この技ももう使えないかも。

ちいさな死

このブログもインスタグラムも、投稿の基準のひとつは「成長した息子がこれを見たり読んだりしても良いかどうか」だけど、今書くこれはどうだろうか。あとあと、削除するかもしれないな。

 

クリスマスツリーを出す頃から1月中旬まで。毎年この時期、息子は夜寝るのがこわくなる。夜更けに眠りにつく、その行為は”死”に近いものなのだと、何かの本で読んだことがある。冬になり寒くなり、日も短くなり、師走になる。この1年も死んでいこうとしている。

2歳のとき、朝目覚めても文字通り目を開けないことが2週間くらい続いた。「目がいたくて開けれないの」といい、薄目のまま歩いたりしている。眼科に連れていったら「精神的なものかな」と言われた。様子を見ていて、ある日目を覚ましたら朝日がまぶしくて、それを「イタイ」と思い込んだのでは?と推測した。最初は心配したけれど、2歳児が神妙な顔つきで起床後の1時間ほどを薄目で生活しているのがかわいらしく、あまり気にしなくなった。息子の前に朝ごはんを置くと、最初は薄目でしぶい顔をしているのに、食べるのに夢中になってくると、徐々に目が開いてくるのがおもしろくて安心した。そしてまたけろりとふつうに起きるようになった。

3歳のときは、布団に入っても頑なに横になるのを拒んだ。暗闇のなか、寒いのに半身を起こしたまま悲しそうな顔でじっとしている。そのときは45度くらいの角度でわたしが抱っこする姿勢でなんとか眠らせていた。それから毎年、この時期は「死んだらどうなるの?」「パパとママが死んだらどうなるの?」「いつ死ぬの?」と眠る前に悩む習慣になった。

わたしも小学校を卒業するまで夜寝るのが怖かった。幼少期は父の仕事の都合で、断続的に広島市に住んでいたことがあった。広島市は他の土地と違い、戦争と原爆の気配が濃く残る場所で、すくなくともわたしにはそうで、当時は「ノストラダムスの大予言」も流行っていて、毎晩恐ろしい想像をして戦争の夢ばかり見ていた。幼稚園の頃から両親とは寝ておらず、子供部屋の2段ベッドの下の段で、姉が寝ているベッドの裏板を見上げながら、ひとりで目を開けていた。

 

夫は息子の睡眠が足りないことを心配するが、わたしは、仕方なしと思っている。できるだけ息子が安心するようにべたべたしているが、聞かれたら本当のことを答える。「ママいつ死ぬの?」と聞かれたら「たぶん40年後くらい」と答える。「死んだらどうなるの?」と聞かれたら「死んでみないとわからないなあ」と答える。”死”についていっしょうけんめい考えることは悪いことではないように思う。息子が神経質になり過ぎたら、ふざけて笑わせる。こちらがもう眠くて仕方ないときは「いいかげん寝なさい!ママは先に寝る。おやすみ」とてきとうなものだ。

 

ある夜、「ボクはオトナになったらひとりで暮らすの?」と聞くから「ひとそれぞれだけど、たぶんそうかな」と答えると、しくしく泣く。「いつでもうちにきたらいいんだよ。このままずっといっしょに暮らしてもいいし、ママはそれがいいな」というと「ちがうの、オトナになったら友達がたくさんできて、楽しくて、もうここにはそんなにこないと思う。それがかなしいの」と言われてびっくりした。そうだよ、そんなものなんだよ。どうして知ってるのかな。

しかも、今考えると、息子はわたしのために泣いていたのかもしれない。

言葉のはなし

週末からまた風邪をひいている。

 

誰かが言ってた「楽観的現実主義者」って良いなと思った。わたしもそのあたりにいたいと思う。

あと、今までよくわかってなかった"narrative"。"narrative" と"story"の違いを知った。"narrative" って好きだな。わたしが長く望んでいることも、"story"より"narrative"のニュアンスに近いのかなと思う。

へんてこ話

なんだか話題の「桜を見る会」。

(国政と都政はちがうけれど)たとえば東京都知事の小池百合子さんは、築地から豊洲への市場移転について、既に安全性が実証されているにも関わらず、政治パフォーマンスのためにメディアを巻き込んで大騒ぎして事業計画がぐちゃぐちゃになり、5600億円の補正予算を(こっそり)組むオチになった。移転と連動して進められていたオリンピックの準備も遅れに遅れ、さらにすさまじいロスが今現在もじゃんじゃん積まれてると思う。桝添さんは数百万円の個人出費を経費に計上して辞任に追い込まれた。猪瀬さんは鞄に5千万入ってて失脚した。石原慎太郎さんは芸術家の息子の作品を公権で優遇し、咎められると「才能ある若い芸術家を支援してなにが悪い」と言い切って騒ぎは終わった。「桜を見る会」の予算は5千万、日本の国家予算は300兆円。予算に対して600億分の1の話題。国会を空転させると1日2億円。野党とメディアが「桜を見る会」で大騒ぎしてすでに10億以上とんでいる。もっと重要な議題が山ほどあるように思う。

なにが大丈夫でなにがアウトなのか判断基準もイマイチよくわからない。メディアが作るイメージってへんだねと思うけれど、自分もぼんやり影響されたり錯覚したりたくさんしてるだろうし、へんというより、ひとの世ってそもそもそういうものなのかなとも思う。

 

政庁跡は紅葉が深まり、赤や黄色が美しくなってきた。

今のところ

オンラインに絵をどんどんアップするので、転用や真似されたりは大丈夫ですか?と心配してくださるかたもいるし「こんなふうに使われてますよ」と知らせてくださる方もいるし、なんと相手に警告までしてくださる方もいる。気にかけてくださって本当に嬉しい。

 

そういうことに関して、今のところ気にしない。無断で転用されてるのを観ると「ほぇぇ〜」と思う。あまり自分に関係のあることのように感じない。たとえそれで利益を得るひとがいるとしても、こちらの何かか減るわけでもないかなと思う。

無断で転用したりそのまま真似する作業は、すこしさみしい作業だ。そういうところに合わせて配慮したくないように思う。たいはんの、多少でも好意を持って観てくださる方々のことを優先したい。真似するひとがいるとしても、真似が本家に迫ったり、本家を越えることがあれば、それは本家の不足なのだと思う。こちらももっとがんばらなくてはと思う。きっとなんでも。

うろうろ思う

このあいだの選挙についてうろうろ考えさせられる。

 

社会主義、共産党体制、革マル、中核派、旧民主党、日本のほとんどのリベラル…わたしはそれらを支持できないな。それらがかつぐ人々と、それらが掲げる美しいプロパガンダのほとんどを疑ってしまうな。

自民党もクロいけど野党はど漆黒に見える。福沢諭吉さんの「政治は悪さ加減の選択」という言葉は、理想ではないけれど真実だと思う。

フィクションは娯楽

映画「八月の鯨」のDVDを買った。中古で480円だった。観たいと思っていた数少ない映画のひとつ。

 

実写の映画が苦手。若いとき、ひとに「もっと映画を観なさい」と言われたり、自分でも「もっと映画観ないと」と思ったりしたけれど、どうしても気が進まないので、今はあきらめてる。状況と登場人物の様子がくっきりしすぎてて、想像の余地がなくて、動揺しすぎて、くたびれてしまって、全然娯楽にならない。昔々、ビョーク主演の「Dancer in the Dark」を観たことを今でも後悔してる。何か啓蒙されたりリアルを突きつけられることは意味深いことなのだろうけど、わたしの場合はただのトラウマになる

 

本を読むときは、しばらく読み進めておおよその内容をつかんだらさっさとラストを読む。「そうなるのか」と結末を知って気持ちが落ち着いてから、また戻ってじっくり文章を読んでいくのが好きだ。どきどきはらはらしたくない。たぶん、物語の起承転結より細部が楽しいのだと思う。そして同じ本を何回も何回も読む…気心の知れた本で、安心して読めるから。

 

映画も、物語が静かで細部が凝った映画なら大丈夫かなと思う。あと、お気楽なものか、大河的なものか。小津安二郎作品も好きだけれど、物語はせつない。レンタルでよく借りるけど「この話、哀しいんだよなあ」と結局ぐずぐず観ないまま返却することが多い。そして息子といっしょに「ドラえもん」や「ポケモン」を楽しく観る。

 

 

映画、映画…映画というと、どうしても目と耳をふさいで走って逃げる自分の姿が浮かんでしょうがない。

「八月の鯨」いつ観るだろうか。

墨と朱

3年くらい前、絵を描く色を墨汁のみにすると決めたとき、5つくらい理由があった。でも、クロとオレンジの組み合わせは好みではなかった。わたしには強過ぎる組み合わせのように感じた。もともと、くすんだブルーやピンクが好きだった。

 

昨年くらい、なんとなく自分は昔より強くなったかもと思うようになった。このクロとオレンジの強い組み合わせに引っ張られてるようだった。絵のほうが、たぶん自分よりも先に強くなっていた。

 

今年になって、この2色で淡い雰囲気が出せるようになってきたかも、と思った。以前ほどどぎつく感じない。気のせいかもしれないけれど。

 

来年2020年になったら、縛りをやめて他の色も解禁と決めていたけれど、わたしにはまだまだ、この2色だけで進めるところがあるかもしれない…と最近思う。

泣く資格

明後日、息子の卒園式がある。

 

保育園はしばらく前から活気づいていて、年長組の子どもたちは興奮して、男の子も女の子も、わたしにもよく話しかけてくるようになった。先生方も浮き足だってるし、保護者の方々は立ち話が長い。ああ、保育園でも卒園が近づけばこんなに日常と違うのだなあと驚いた。ちょっと、身の置き場に困る感じがする。

 

今まで自分の卒業式で泣いたことは一度もない。春。祖父の葬儀があった春もあった。そこでも泣かなかった。祖母の葬儀でも泣かなかった。「あんたは本当につめたい」と、そういう式で、友人にも身内にも言われたことがある。

春になると思い出す。

 

泣く資格、というのがあるような気がしていた。式典で涙を流す前にするべきことが、自分にはたくさんあったように感じた。みんなと別れる前に。おじいちゃん、おばあちゃんが永遠にいなくなってしまう前に。戒めとして身の内に留めておくことが、たくさんあるような気がしていた。

 

明後日、そんなわたしでもきっとたくさん泣くだろうと思う。自分の子どものことだとあんなに涙が出るのはなぜだろう。

春はなんとなくかなしい気分もある。

 

追記:結果、たいして泣かなかった。お式での息子のボケと成長っぷりにウケて笑ってました。