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台風のあと

台風が過ぎたあと、さっーと涼しくなり、エアコンをつけなくても良くなった。

 

台風の夜は「台風くるまで起きてる!」という壮介と夜遅くまでプライムでコナンを観ていたけれど、太宰府が本格的に荒れたのは明け方5時からだった。わたしは作りおきのおにぎりやお菓子を食べてコーヒーを飲んで「………まだか」とそれまで待っていた。寝てしまうのはもったいないような気がして。やがて、ごうごうと地鳴りのような不気味な音が鳴り、突風がうねった。雨はそこまで降らなかった。台風のときは風の形がすこしわかるような気がする。

人体や生き物、自然のものなどの有機物には、必ずうねりや流れのようなものがあり、デッサンのときはそれを捉えなくてはいけない。それが見えないとどうにもならないと高校時代に恩師に教わった。絵画によらず、建築や造園や服飾や職人や料理人や工業デザインの仕事なども、それはそういうものかもしれないなと思う。逆らわないほうがいいものを見いだすというか。音楽や踊りもそうか。

眠くなるまでそういうことをぼんやり考えてました。壮介はみじんも起きなかった。兼継は最初強風に「はっ!」と起きたけど、やがてすぐに慣れてとろとろと眠ってしまった。野生ゼロ。

 

つぎの日は、台風に備えて準備したものを元に戻したり片付けたりする作業と、昼寝で終わった。なんだかんだで本当にこの1ヶ月まともに仕事していないなあ。大丈夫だろうか(全然大丈夫じゃない)。そろそろまた潜らなくては。

台風のまえ

どうだろう?と思っていた台風がコースも逸れずに、そのまま今夜くるとのこと。台風の右側が一番被害が大きくなるそう。

 

ベランダに置いてある植物やものをすべて室内に入れて、ガムテープで窓を養生して隙間を塞ぎ、ダンボールを貼る。鳥取から福岡に移り住んでびっくりしたことは、人口が多い都市だと「準備しなきゃ」と気づいたときにはもう遅く、必要な品物があっというまに店頭からなくなること。それで緊急時の備えを強化していたので、10日間くらい電気が止まってもとりあえず大丈夫。うちはマンションの4階だけど、ちょうど強風が当たる南東に向いていて、遮るような建物もない。風上の150mくらい先に古いパチンコ屋とその立体駐車場があるから、ぺらぺらな建材が飛んでくるかもしれないし、マンションの後ろがわりと大きな川なので、車を向かいの立体駐車場に移動しておく。あとは…今日電気があるうちに掃除をしよう。それから炊き込みご飯でも炊こうかな。

 

いつものように、95%くらいやれるだけのことをしたら、残りの5%は「なるようになるさ。あとはおまかせ」となる。

 

 子どもと猫は「ジャングルみたい!」とテンションが上がってる。

食器棚の上/オンライン

食器棚の上の六角形の木箱には、祖父ひとり祖母ふたりの遺骨の欠片が入れてある。近しいひとが亡くなるとき、火葬場で、骨をすこし食べて、すこし持ち帰ることが、わたしなりの死者に対する礼儀のようなものになっている。

故人は自分の名前(愛称ではなく)を声に出して呼んで欲しいという。もときちさん、はるえさん、しげよさん。鋳型職人だった元吉さん、元祖ミニマリストだった春恵さん、習字の先生だったしげよさん。今こうしてSNSやブログに祖父母の名前をのせて、誰かが読んでくれること。それはなんだか良いことのように思う。

この夏は帰省できなかったけど、13日、息子と作ったチョコレートケーキを供えた。あとはいつも通り。好きな花を飾って、朝に水を替えて声をかける。

やや暗い話

今日、政庁跡にあるトイレの洗面台のなかに、小さなセミを見つけてしまった。

排水口ぎりぎりの場所で必死に脚を動かしてるけれど、白い陶器の壁がつるつるしてまったく登れないみたいだった。

 

セミは大の苦手で、小学生のとき理科の教科書に載ってるセミの脱皮の写真を見なくてすむように、そのページをセロテープで閉じてしまったくらいいやだ。壮介が生まれてからは「男の子だからいちおう虫くらい平気じゃないと」と、自分の虫嫌いを隠していたけれど、やっぱりすぐにバレて、壮介も虫が大の苦手な男子になった。今では、セミやカナブンを見つけては、ふたりできゃーきゃー叫んで逃げ回っている。

 

そんなわたしでも、さすがに(…このまま素通りしたら、あのセミはたぶんあそこで力尽きて死ぬのだろう)とあれこれ思うといたたまれず、長さが50cmくらいの棒きれを外から拾ってきて、先っぽをセミの目の前に差し出して救出を試みた。(頼むから飛ばないでよ)とびくびくしながら。セミは「……あら?」という間をおいてから、よたよたと棒につかまりおとなしくしているので、そのままじりじりとトイレの外に持ち出して「がんばれよ〜」と草むらにセミと棒を置き、すぐにその場を離れた。セミはきょとんとしているように見えた。わたしはヘンな汗をかいた。

 

家のなかでアリや小さなクモを見つけると「ごめん!」と言いながらティッシュでぎゅっとくるんで捨てるのに、矛盾だ…とぼんやり考えながら川沿いの道を歩いていて、ふと、(きっとあのセミが自分のように見えたから助けたのだろうな)と思ってしまった。

 

暗い。暗いし男っぽい。最近ずっーーーと男らしい。この休みはスカートでもはいたほうがいいかもしれない。

夏は好きじゃない。早く秋になるといい。

 

追記 : 昆虫は苦手だけど、カエルやトカゲなどのは虫類は平気。

ひとそれぞれ

昨日、鳥取の母親から電話があり「お盆は帰ってこなくていいから」と言われた。県知事が今後発症者の職場や住所を公開する条例を推進しているらしく「福岡はすごく感染者多いでしょう?万が一コロナになったらお父さんとお母さんもうこのマンションに住めなくなるから」だそう。なんと。母は長年勤めた職場を”東京からの往来者が多いから”という理由で退職までしていた。

”コロナ観”って本当にひとそれぞれで、まるで政治の話題のようにうかつなことは言えないし、地域差もすごい。新聞とテレビが情報源の両親に、わたしが「そこまで深刻にならなくて大丈夫だよ」と言っても怒られるだけだし、なにより、鳥取で詳細を公開されたら生きていけないのは本当で「そうか。ではそうするね」と言うだけにした。電話口の母はもう数年は会えないね…くらいの雰囲気だった。「いろいろなことはもうそちらで進めて。お父さんとも話してたけど、あなたとそうちゃんが元気で幸せだったらそれでいいからね。そうちゃんの写メだけ毎日送ってね」とのこと。そ、そうなんだ。

 

そうかそうか、ではそういうことで…。こちらはこちらでがんばっていきまーす。

月夜

壮介と兼継と、2人と1匹暮らしになって3ヶ月が過ぎた。

「地味に波瀾万丈な人生だね」と友人が言った。「望んでそうなったわけじゃないけどね」と答えた。

 

崖っぷちから足を踏み出すというのはこういうことなんだと思う。後ろの道はもうふさがっている。頭をしゃんとして足元を見ないように、1歩1歩進む。暗闇から風がふいてくる。暑くもなく寒くもなくとても静かで、雲間に月が浮かんでいる。見上げる余裕はないけれど、ぼんやりした光を頼りにしている。その月はわたしだ。わたしはわたしを頼りにしている。

 

沈黙が無難

個人的には、コロナより今の世間のほうがこわい。「なんかもういいや。しばらくさよなら」と違う意味で引きこもりたくなり、現状だと5月いっぱいは緊急事態宣言の解除はなさそうだし、この生活にもっと積極的に適応することに。ずっと在宅することになった息子の勉強と生活リズムについてあれこれ考えて、今まで特に必要だと思わなかった Fire TV Stickを入手してamazonプライムに加入、テレビでオンライン動画を見れるようにした。

 

You-Tubeを生活によく利用していて(観る…ことはほとんどなくて聴いてるだけ)音楽やニュースを聴くし、情報を調べるときもYou-Tubeで検索することが多い。個人がプライバシーと収入を賭けて投稿するYou-Tubeは、質の良いチャンネルが見つかれば、他のメディアより信頼できるし有能だと思う。何年か前に英語の勉強をしていたとき、優れたユーチューバーのレッスンのほうが、学校の授業や英会話教室より数倍わかりやすくて、おもしろくて、役に立ち過ぎて感動したことがある。小学生の勉強に良い動画もあるかなといろいろ試している。ただ、まだ2年生だし、勉強…というより脇道に逸れるような雑学的な内容を探している。わたしもいっしょに観るからおもしろいほうがいいし、視聴後に息子に感想文を書いてもらって、それを読んでこっそり笑いたい…という願望もある。こどもに勉強を教えるのは工夫と忍耐がいるから、できればこちらも楽しめる要素が欲しくて。

今日の作文。ただただわたしが読んでなごむ。

エーデルワイズの思い出

「絵には正解はないけれど、文章には正解があるのよ。クラシックの音楽みたいに」と、11月に編集のMさんが言っていた。杉本さんは、絵は今までの蓄積があるからそんなに心配ないけれど、文章はこれから果てしない鍛錬が必要よ、と。

 

昔、フルート奏者から1年くらいオカリナを習っていたことがあった。軽い気持ちではじめたのに、その先生は超スパルタだった。真剣だった。年配の生徒さんがあまりにキツく叱られて泣いたこともあった。「とにかく譜面通りに吹きなさい!」と繰り返し叱咤された。クラシックの演者はプロでも譜面を正確に再現するだけで精一杯で、個性や表現は2の次であることをそのとき知った。というか、譜面ばかりを追っかけていても個性は音に出るのだと。「杉本さんの音はもの哀しいから、この曲に合うのね」と、エーデルワイズを練習しているとき先生が言った。そして「そうだ!今度のクリスマス・コンサートで杉本さんこの曲独奏しなさいよ!」と迫られて震え上がったことを覚えている。この後事情があってオカリナ教室に行けなくなったので、独奏はせずに済んだ。

 

文章は難しいなと思う。このブログも、過去の投稿をしょっちゅう加筆修正している。それが苦ではなくておもしろいからしている。文章は絵と違うから、クロスワード・パズルみたいに気分転換になる。削除もよくする。誰かを傷つけたくはない。何かを押しつけたくはない。ひとりよがりになるのはいやだ。でも正直がいい。書いた直後はわからなくても、月日がある程度過ぎてからわかることが多い。

 

歳月がたっても、読める文章、観れる絵、というのがいいと思う。

すきとおったきれいなもの

昨日、友人が食後のコーヒーを飲みながら「最近、お母さんお父さんと3人で、食卓に座ってふつうに話してる夢をよく見るんだよ」と言った。その子は数年前にお母さんを亡くしていた。「喋ってて、これなんかへんだなって夢だって気づいて、いつもそこで眼が覚めて。悲しくて」と彼女はぽろぽろ涙をこぼした。「母が亡くなったとき、こどもも小さくて、忙しくて、そういうことを話せる相手もいなくて、まだちゃんと母の死に向き合えていないような気がする」「どうしてこんな夢を見るのかな」と彼女は言った。

 

趣味のひとつ。

You-Tubeの音楽投稿のコメント欄を閲覧すること。感動した音楽の前では、ほとんどのひとが謙虚で素直になるようで、ネガティブなコメントは少なく、楽しくおもしろく気の利いたコメントが多い。中島みゆきさんやフォークの大御所などのコメント欄を見てみると、長文が多くて、苦しかったときどれほどこの曲に救われたか…などが書かれてたりする。どういうひとが書いたのかなあと想像する。町ですれ違ったり電車で乗り合わせるようなひとびと。わたしの友達のような、毎日笑顔でがんばってるひとびと。

 

昼間からビールが飲みたくなるね。

青森のおもてなし。情熱の続き

スーパーでジャケ買いしました。

好みのデザイン。りんごジュースなのに赤パッケージではないのが新鮮。雪国のイメージで白なのかな。味も美味しかった。

 

土曜の午後、注文していたコンポとミシンが同時に届き、電化製品ハイになりました。

コンポは先方のミスでKENWOODの型番違いが届き、ブルートゥースが飛ばせないことに気づく。2010年製でDockコネクタはあるから、Lightning変換用のアダプタがあれば聴けるかも。ということでさっそくアダプタを注文。返品可能だけど、状態もきれいで好みの音だから、i-phoneを繋げたらOKにしようと思う。でも、今まで20年以上使用していたVictorのステレオを撤去しながら「やっぱりこちらが好きだな」としみじみ思った。古すぎて修理にも出せないから仕方ないのだけど。

ミシンは、重さがあって操作が単純でフットコントローラーもあって、見た目もシンプル。試しにぞうきんを縫ってみたら問題なし。良い買い物でした。

 

追記:無事にコンポとi-phoneを繋げました。