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飛行機と自転車

先週末は飛行機作りにはげんだ。調べてみると”競技用紙飛行機”というのがあるようだった。おじいさん方が飛ばしていたのはそれだった。

2機仕上げて、月曜日に試験飛行をしたけれど両方飛ばず。なかなか難しいことを実感。使用する紙を換えて追加で2機作ってみる。

おじいさん方との約束の火曜日。7人くらい集まっていた。わたしたちの飛行機はやっぱり飛ばず、アドバイスをもらう。壮介はおじいさん方から3機も格好良い飛行機をもらう。デザインも設計もそれぞれ自分で作成したものだそう。「来月、左右非対称の比翼限定の大会があるんだよ」…左右非対称…。おじいさん方はけっこうマニアックなヒコーキビルダーなのだった。物腰も親切だけどクールだ。「ちゃんとひとの話を聞きなさい!」と喋り過ぎる息子は怒られていた。

風にのると、高さ20mくらいまで上昇して、50mmくらい飛んだりする。飛ばしたあと見失うくらいスピードも出る。これはわたしも楽しい。

そして、突然息子はコマなし自転車に乗れるようになった。我が家では「奇跡だ!!!」と大騒ぎだった。本人もびっくりしていた。息子のいばりよう、自信回復具合は大変なもので、本当に良かったなあと思う。良かった、良かった。良い瞬間を見せてくれた。

春休みは飛行機飛ばしと自転車乗りで終始しそう。春らしくていい。

ヒコーキクラブ 続き

昨日ブログで書いたばかりのヒコーキクラブのおじいさん方と、今日、息子が仲良くなるというまさかの展開。めずらしくイジイジモジモジして、話しかけるまで30分くらいかかった息子。でも勇気を出して「飛行機見せてください」とひとりで言いに行った。立派だ。

飛行機を飛ばさせてもらったり、作り方を聞いたりして「もっときれいに飛ぶ飛行機を今度持ってきてあげるよ」と言うおじさんと「自分で飛行機作ってみる!」と息子が約束。「厚紙とボンド、割りばし…」と、真剣に作り方を聞くわたし。

 

息子(天性の不器用、7歳)に代わり、わたし(天性の不器用、でもオトナ)が作ること必至。約束の来週の火曜日までに、作りましょう、美しい飛行機を。

ヒコーキクラブ

9時50分。この時間はときどき、70歳くらいのおじいさんが5、6人集まり飛行機を飛ばしている。薄い発砲スチロール板で作った模型飛行機をゴムかバネで飛ばす。30mくらい飛ぶ。それぞれが黙々とあちこちに飛ばしては、自分で走って拾いに行く。人口が多いところはいいなと思う。マイナーな趣味でも、シニアがこうして毎週同じメンバーで集まって楽しそうにしている。

 

わたしはといえば、今が底の底だろうと思う。足下の地面を何度も蹴って確かめる。これがいちばん底なら、まあ大丈夫だろうと考えている。

エーデルワイズの思い出

「絵には正解はないけれど、文章には正解があるのよ。クラシックの音楽みたいに」と、11月に編集のMさんが言っていた。杉本さんは、絵は今までの蓄積があるからそんなに心配ないけれど、文章はこれから果てしない鍛錬が必要よ、と。

 

昔、フルート奏者から1年くらいオカリナを習っていたことがあった。軽い気持ちではじめたのに、その先生は超スパルタだった。真剣だった。年配の生徒さんがあまりにキツく叱られて泣いたこともあった。「とにかく譜面通りに吹きなさい!」と繰り返し叱咤された。クラシックの演者は譜面を正確に再現するのに精一杯で、個性や表現は2の次であることをそのとき知った。というか、譜面ばかりを追っかけていても個性は音に出るのだと。「杉本さんの音はもの哀しいから、この曲に合うのね」と、エーデルワイズを練習しているとき先生が言った。そして「そうだ!今度のクリスマス・コンサートで杉本さんこの曲独奏しなさいよ!」と迫られて震え上がったことを覚えている。この後事情があってオカリナ教室に行けなくなったので、独奏はせずに済んだ。

 

文章は難しいなと思う。このブログも、過去の投稿をしょっちゅう加筆修正している。それが苦ではなくておもしろいからしている。文章は絵と違うから、クロスワード・パズルみたいに気分転換になる。削除もする。誰かを傷つけたくはない。何かを押しつけたくはない。ひとりよがりになるのはいやだ。でも正直がいい。書いた直後はわからなくても、月日がある程度過ぎてからわかることが多い。

 

歳月がたっても、読める文章、観れる絵、というのがいいと思う。

真夜中

気分転換に書いている。真夜中。近所のコンビニでカフェラテを買ってきた。

夜の作業スピードと集中力は昼の2倍になる。静かで、ひとりで、自由だ。時間は自分だけのものだ。そして「あんまり無理しないでね、これお守り」と息子が置いてくれた謎のレゴの物体と、兼継がいてくれる。兼は、足の裏に墨汁をつけてあちこち歩いたり、トレース板の上で寝たりするから、ちょっと困る。

 

とはいえ、夜型にはなりたくない。今だけ。

仕切り直し

3月3日から春休み終了まで小学校お休み決定。息子の各習い事先からも連絡があり3月一杯はお休み。

3月は、引き続き大切な仕事がたくさんある。久しぶりの夜業になる。うーん。でも、夜中のほうが集中力があがるし作業が早くなるし、なんとかなるでしょう。

 

息子に「しばらくそうちゃんひとりで寝れる?ママ夜に仕事するから」と聞くと「うちが貧乏になって全然かまわないから、ボクはママと寝る。ムリ」ときっぱり言われる。

膝の上の兼継

散歩に出るのがずるずる遅れてしまった理由は兼継。この顔で寝られるとどかせられない。甘えん坊だけど抱っこはきらいな猫だったのに、この冬から、わたしがソファーに座ると「……よっこらっせ…」と膝の上にくるようになった。膝上のあたたかさと快適さに目覚めた様子。夜寝るときも、今までは足元だったのが、布団のなかのわたしの左のわきの下で寝るようになった。年のせいだな、兼継よ。もう50歳前だものな。

それでも、断腸の思いで猫をどかして出かけた。日々春の気配がする。

けもの道

先日、折りをみては書き直し続けていた、作品集「Close Your Ears」についての文章を、1年越しでようやく書き上げた。もうすぐサイトに掲載されるけれど、その文章を書くことで、あらためてわかることが多かった

そして「AGEHA」に続いて、今、原画と文章を書いている絵本。この仕事は、なるべく自分の頭はゆるめておいて、ふわふわしたどこかに手を伸ばして指先に触れたものを、描いたり、書いたりするようにしてる…けれど、同時に、ちょっとマトモじゃないこと、非日常なことも、ドバドバと実生活に引っ張り出されてきて「これはいったいどういう意味だろう?」と途方に暮れることになってしまった。内省的な作業と現実がリンクして、よれよれになっている。

 

今日、家族が寝てからお風呂に入り、鬱々とした気持ちで湯船に浸かっていたら、ふと「もう、絵を描いてる自分とそうでない自分を分けなくて良いかも」と思った。そういうことを今まで考えたことがなかったし、実感することもなかった。「もういいじゃない」と思った。そしたら、涙がぼろぼろ出てきて、そのままお湯に浸かりながら1時間おいおい泣き続けることになった。そんなに泣いたのは8年ぶりだ。とてもすっきりした。

 

2020年になるとき「走れるとこまで走る」「潜れるとこまで潜る」「死ぬ気でやる」と口にも出したし、書いてもいたけど、これが言うのはたやすいことで、かなりキツい。まだ2月中旬なのに。あと10ヶ月、何を見るだろう、どうなるだろうか。

とりあえず、野菜と肉を食べて、ちゃんと睡眠をとって、散歩を続けないと、もたない気がする…。

すきとおったきれいなもの

昨日、友人が食後のコーヒーを飲みながら「最近、お母さんお父さんと3人で、食卓に座ってふつうに話してる夢をよく見るんだよ」と言った。その子は数年前にお母さんを亡くしていた。「喋ってて、これなんかへんだなって夢だって気づいて、いつもそこで眼が覚めて。悲しくて」と彼女はぽろぽろ涙をこぼした。「母が亡くなったとき、こどもも小さくて、忙しくて、そういうことを話せる相手もいなくて、まだちゃんと母の死に向き合えていないような気がする」「どうしてこんな夢を見るのかな」と彼女は言った。

 

趣味のひとつ。

You-Tubeの音楽投稿のコメント欄を閲覧すること。感動した音楽の前では、ほとんどのひとが謙虚で素直になるようで、ネガティブなコメントは少なく、楽しくおもしろく気の利いたコメントが多い。中島みゆきさんやフォークの大御所などのコメント欄を見てみると、長文が多くて、苦しかったときどれほどこの曲に救われたか…などが書かれてたりする。どういうひとが書いたのかなあと想像する。町ですれ違ったり電車で乗り合わせるようなひとびと。わたしの友達のような、毎日笑顔でがんばってるひとびと。

 

昼間からビールが飲みたくなるね。

冬の水辺


冬の水辺の美しさ。見飽きない。