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ちいさな死

このブログもインスタグラムも、投稿の基準のひとつは「成長した息子がこれを見たり読んだりしても良いかどうか」だけど、今書くこれはどうだろうか。あとあと、削除するかもしれないなあ。

 

クリスマスツリーを出す頃から1月中旬まで。毎年この時期、息子は夜寝るのがこわくなる。夜更けに眠りにつく、その行為は”死”に近いものなのだと、何かの本で読んだことがある。冬になり寒くなり、日も短くなり、師走になる。この1年も死んでいこうとしている。

2歳のとき、朝目覚めても文字通り目を開けないことが2週間くらい続いた。「目がいたくて開けれないの」といい、薄目のまま歩いたりしている。眼科に連れていったら「精神的なものかな」と言われた。様子を見ていて、ある日目を覚ましたら朝日がまぶしくて、それを「イタイ」と思い込んだのでは?と推測した。最初は心配したけれど、2歳児が神妙な顔つきで起床後の1時間ほどを薄目で生活しているのがかわいらしく、あまり気にしなくなった。息子の前に朝ごはんを置くと、最初は薄目でしぶい顔をしているのに、食べるのに夢中になってくると、徐々に目が開いてくるのがおもしろくて安心した。そしてまたけろりとふつうに起きるようになった。

3歳のときは、布団に入っても頑なに横になるのを拒んだ。暗闇のなか、寒いのに半身を起こしたまま悲しそうな顔でじっとしている。45度くらいの角度でわたしが抱っこする姿勢でなんとか眠らせていた。それから毎年、この時期は「死んだらどうなるの?」「パパとママが死んだらどうなるの?」「いつ死ぬの?」と眠る前に悩む習慣になった。

わたしも小学校を卒業するまで夜寝るのが怖かった。幼少期は父の仕事の都合で、断続的に広島市に住んでいたことがあった。広島市は他の土地と違い、戦争と原爆の気配が濃く残る場所で、すくなくともわたしにはそうで、当時は「ノストラダムスの大予言」も流行っていて、毎晩恐ろしい想像をして戦争の夢ばかり見ていた。幼稚園の頃から両親とは寝ておらず、子供部屋の2段ベッドの下の段で、姉が寝ているベッドの裏板を見上げながら、ひとりで目を開けていた。

 

夫は息子の睡眠が足りないことを心配するが、わたしは、仕方なしと思っている。できるだけ息子が安心するようにべたべたしているが、聞かれたら本当のことを答える。「ママいつ死ぬの?」と聞かれたら「たぶん40年後くらい」と答える。「死んだらどうなるの?」と聞かれたら「死んでみないとわからないなあ」と答える。”死”についていっしょうけんめい考えることは悪いことではないように思う。息子が神経質になり過ぎたら、ふざけて笑わせる。こちらがもう眠くて仕方ないときは「いいかげん寝なさい!ママは先に寝る。おやすみ」とてきとうなものだ。

 

ある夜、「ボクはオトナになったらひとりで暮らすの?」と聞くから「ひとそれぞれだけど、たぶんそうかな」と答えると、しくしく泣く。「いつでもきたらいいんだよ。このままずっといっしょに暮らしてもいいし、ママはそれがいいなあ」というと「ちがうの、オトナになったら友達がたくさんできて、楽しくて、もうここにはそんなにこないと思う。それがかなしいの」と言われてびっくりした。そうだよ、そんなものなんだよ。どうして知ってるのかなあ。

しかも、今考えると、息子はわたしのために泣いていたのかもしれない。

今年中にしてしまいたいこと ※仕事以外

・コートのボタンを付け替える

・デニムの裾上げをする

・新しい鍋つかみを作る

(ミシンが欲しい)

・金継ぎの作業を進める

靴を磨く

・写真の現像、アルバムを作る

・今年分の経理をまとめる

兼継をワクチン接種に連れて行く

整体に行く

・美容院に行く

 

こんなに。

まだクリスマスツリーも出してないし年賀状も準備していない。いちばん大変なのは写真の現像と思われる。ここ4年分の写真データがまだ整理、現像できていない…。上から4件はお正月休みにしようかな。

「沢村貞子という人」山崎陽子

沢村貞子さんのマネージャーを30年以上勤め、晩年と最期も傍らに付き添った山崎洋子さんが書いた本。身近から見るそのひとは、沢村さんご自身の著作からは知れなかった、一途で猪突猛進ゆえに周囲をちょっと困らせる性格も垣間見れる。山崎さんの文章もとてもよく、深い愛情と尊敬を持って接しつつ冷静であり、沢村さんとご主人の大橋さんの言動にしょっちゅう(こころのなかで)ツッコミを入れる。清潔であたたかい良い本でした。最後のほうは読んでいてぽろぽろ涙が出た。

 

そして今は「原節子の真実」を読んでいる。同じ時代の女優さんでも、このひとは本当に、なんというか、峻烈だ。

秋→冬

せっせと歩き、せっせと大量の蒸し野菜と野菜ジュースを飲んで、だいぶ身体がラクになってきました。

 

月曜の政庁跡、紅葉がいちばんきれいだった日。

出かけるときは寒く、1時間歩いていると汗かいて…というめんどうな時期も終わり、出かけるときも寒く、歩いていても寒く、家に帰ってくると鼻水が垂れるという季節。手袋を買わなくては。

 

追記:野菜ジュース→小松菜、バナナ、ヨーグルト、牛乳

まだまだ甘ちゃん

先週は、風邪をこじらせ、絵本の打ち合わせをして、息子の発表会があり、両親が鳥取から来ていた。

なにより風邪を治したくて、ふだんそんなに食べない肉とお米とチョコレートをがつがつ食べて、打ち合わせの後、パスタと肉をたらふく食べて、そして両親がいるのでふだんと違う食事をたくさんとった。結果、日曜日は朝から身体がだるくて仕方なかった。炭水化物とタンパク質で胴体がぱんぱん。

夫が息子と出かけてくれたので ”なにもかもめんどうくさい。このままトドになってしまいたい" という気持ちを払うために家の掃除をして散歩に行った。掃除が半分終わる頃には頭がすっきりした。政庁跡はさざんかが美しかった。

 

絵本の打ち合わせについて。編集Mさんの言葉がひびいた。年上のベテラン編集者であるMさんは、静かにやさしく話し、静かにやさしく話を聞いてくださる方だ。そして話していてとても楽しい。わたしが”ポケットから手を出せる”方だ。

これからの作業はMさんの裁量で想像以上に自由な世界だった。あまりに自由でしたいこともたくさんあって、ぽーっとなった。そしてその暗くて深い道が恐ろしくもあったし楽しみにもなった。

 

それにしても「編集者」というのはこのようなお仕事なんだなと知る。わたしには見えない道筋と確信を持ってらっしゃる。それは、適正と、過去の膨大な経験でできたものなのだろうと思う。別業種のひとが、そのひとのそれまでのすべてを用いて判断し、リスクを負いながらも断言する姿を見るのが大好きだ。格好良い。わたしは家族も会社も店も背負ってないし、材料も紙と墨汁だけで元手がかからないし、まだまだ甘ちゃんなんだと思う。

甘えどころ

両親が太宰府に遊びにきたのは溺愛する孫の発表会を観るためだった。発表会のあといつもの散歩コースを案内する。

仲良く元気で良きことなり。あと20年このままでいて欲しい。親といっしょにいるとなんだか甘えて気が抜けてしまい、ふだんのリズムがゆるんで苦労している。

冬支度

まだ風邪をひきづっていて今週は散歩にも行けていない。今日の午後鳥取からわたしの両親が遊びにくるので、今おでんを仕込んでいる。あとははまちの漬けがあるから漬け丼。それから息子を両親に任せて、夕方から市内に出かけて打ち合わせの予定。そのままちょっと飲んで帰るつもり。

 

出かけるついでの季節の衣替えはかんたんで、ニットやマフラーを1番上の引き出しに移すだけ。着るもののなかでセーターがいちばん好きで冬はこれだけ。以上。

(今もないけど)もっともっとお金がなかったとき、着るものを買う余裕もなくて、買いものに失敗できなくて、自分が長く使うもの、結局使わなくなってしまうものの、色、形、サイズ、素材の傾向をリストアップして、それに従って購入するようにした。そして冬は明るいグレイの、丈夫で毛玉ができにくいスコットランド製のウールのセーターのみとなった。春になりさすがに飽きたなあと思う頃クロとネイビーのカットソーばかり着るようになり、夏になったらシロとクロのシャツばかり着るようになる。数もすごく少ない。「いつ見てもいっしょ」と夫と息子には不評だけど、外に出てひとに会うこともほとんどないし、わたしとしては何も迷わず毎日好きなものを着れていい。

 

ものはとても好きだ。新しかろうが古かろうが、高価だろうが安価だろうが、素材が良かろうがプラスティックだろうが、今の持ち主が、日々手にとって使っているもの好きだ。インテリアを紹介する雑誌などを見ていて、どんなに良いものが紹介されていても、それを持ち主が頻繁に手にとっているかどうか、写真を見てるとわかるような気がする。使われてるものは、発光してるように見える。使われてないものは、にぶって見える。

ものは毎日触っていると持ち主の味方になってくれるし、助けてもくれる…そう実感することがたびたびある。あるんだよな。

言葉のはなし

週末からまた風邪をひいている。

 

誰かが言ってた「楽観的現実主義者」って良いなと思った。わたしもそのあたりにいたいと思う。

あと、今までよくわかってなかった"narrative"。"narrative" と"story"の違いを知った。"narrative" って好きだな。わたしが長く望んでいることも、"story"より"narrative"のニュアンスに近いのかなと思う。

ささやかな願い

今絵本を描いている。来年出版予定。荒木さんからも連絡があり「あげは」の本造りもいよいよ動き出しそう。

絵本の編集の方が来週福岡に打ち合わせにいらっしゃるので、今はその準備。どうかな、どうだろうか。

このお話をいただいたとき、絵は描けるとしても物語はどうだろうか…書けるだろうか…ということで、文章は別の方にお願いする予定だったけれど、鍵となるモチーフを提案していただいたら、ある日物語はすとんと出てきた。そして書いてみた。それをそのまま編集の方に投げてみた。とりあえず、それで進められることになった。今度はさらにふくらませて整えた(つもりの)文章をチェックしてもらう予定。「やっぱり他の方にお願いしましょうか」と言われたらどうしよう。かなりのめり込んでるから、ボツになったら帰りの電車で泣くかも。

 

「あげは」とこの絵本が出版されるまでは死ねないぞと思う。健康診断に行こうかなと考えたりする。そういう気持ちで何かにとりかかるのは3年ぶり。

とりあえず散歩に行こう。

へんてこ話

なんだか話題の「桜を見る会」。

(国政と都政はちがうけれど)たとえば東京都知事の小池百合子さんは、築地から豊洲への市場移転について、既に安全性が実証されているにも関わらず、政治パフォーマンスのためにメディアを巻き込んで大騒ぎして事業計画がぐちゃぐちゃになり、5600億円の補正予算を(こっそり)組むオチになった。移転と連動して進められていたオリンピックの準備も遅れに遅れ、さらにすさまじいロスが今現在もじゃんじゃん積まれてると思う。桝添さんは数百万円の個人出費を経費に計上して辞任に追い込まれた。猪瀬さんは鞄に5千万入ってて失脚した。石原慎太郎さんは芸術家の息子の作品を公権で優遇し、咎められると「才能ある若い芸術家を支援してなにが悪い」と言い切って騒ぎは終わった。「桜を見る会」の予算は5千万、日本の国家予算は300兆円。予算に対して600億分の1の話題。国会を空転させると1日2億円。野党とメディアが「桜を見る会」で大騒ぎしてすでに10億以上とんでいる。

なにが大丈夫でなにがアウトなのか判断基準がイマイチよくわからない。メディアとそれが作るイメージってへんだよねと思うけれど、自分も無自覚に影響されたり錯覚したりたくさんしてるだろうし、へんというより、ひとの世ってそもそもそういうものなのかとも思う。

 

政庁跡は紅葉が深まり、赤や黄色が美しくなってきた。